ブログ

生活保護で健康に

 「Sちゃんのドアが開かない、鍵も壊れている。」と裕子さんから電話が入った。
当時70代だったSちゃんは、どうやら玄関で倒れているようだ。もう6年も彼の介護をしてきて、こういう事は初めてだ。彼は、要介護認定でいうと“要介護2”だし、一人で銭湯にも行く。
早速、傍にいた内藤介護福祉士に連絡し、急いで駆け付けてもらい、ドアを破って入ってもらった。同時に救急車も来た。
Sちゃんは、足で玄関のドアを抑えてしまう形で倒れており、鍵も曲がった状態だったようだ。

 入院して、2カ月。一向に進展はなく、しかも「親族でないと病状をお知らせできない」と、病院から言われた。
Sちゃんは軽度の知的障害があり、甥御さんが彼の後見人だったが、公務員で偉くなり、早急には来れない状態となっていた。
Sちゃんも、病状がわからないし、大部屋でとても気を使い泣き出す始末。こっちも泣きたい。

 それから、1か月が経ち、やっと甥御さんと医師の面接が行われた。
最近、振戦(ふるえ)もあったことから、私はパーキンソン病との診断を予想していた。これはまだ軽いと踏んでいたし、この際しっかりこちらで見てもらう予定だったが、甥御さんの電話で聞かされた病名は意外なものであった。
「叔父は、胃癌です。叔父は、この病気を受け止める事ができないと思うから言わないでほしい。」

 癌と聞き、私は都立駒込病院に転院を希望した。
その時、Sちゃんは生活保護を受けていた。70歳の時だ。

 担当医は、「癌は2か所、噴門と、下の方に2か所ある。とてもわかりづらい癌ですね。」と言われた。
2か所と聞き、私は気が動転した。同行した、看護師の加藤も「うんうん。」と頷くだけ。
私は、「先生お願いです。助けてください!」と、つい叫ぶ。もう涙声になった。

 執刀医となったドクターは、「人間は一度は死にます。まずは検査入院です。」と言われた。
告知は避けろと後見人に言われていたので、私は不安になったが、Sちゃんは案外しっかり受け止めており、「先生、バッサリやってくんな(新橋生まれの江戸っ子)…」と、威勢がいいと思った。

 ドクターは泣き崩れる私を見て、「まずは検査をして、その先はまた相談しましょう。」と言われた。
それ以来、Sちゃんが心配で心配で、3日3晩眠れない。

 5日後、医師から電話があった。
「検査結果は良好で、ステージ2だよ。とっても見つけにくい癌です。よく、発見したね。上と下にあるから、全摘出になる。お手柄だ。大丈夫、私に任せてください。心配ないから、私を信じて。」
その一言は、天の声、神の声だった。
Sちゃんの入った病院は、とっても古く、評判のボロボロ病院だった。そのおかげで、ありとあらゆる検査をして、通常ならとてもコストのかかる検査も、「こちとら生活保護だべらんめぇ、金はお国持ちだ」という訳で、これでもか、これでもかと、ありとあらゆる検査を行った結果であった。

 当然、もっと儲けたいと思ったのか、「執刀したい」と申し出があったが、それだけは勘弁してもらい、都立駒込病院に行った。感染症と癌はお家芸の病院だ。
その後、Sちゃんはたった5日間の入院で退院でき、同時に私たちの会社は、江戸川区から、中央区に移転した。
甥御さんも、公務員を退官し、実家の母親とSちゃんの姉を見る事となったので、後見人は私にバトンタッチされた。
同時に私たち家族と同居することになったのだ。食生活もばっちり見れる。
Sちゃんの病から7年が経った現在、胃の噴門はない状態だが、経年によって通路が狭くなるので、通路拡張のため2日間の入院となった。明日は退院だ。

 私の父が亡くなり、Sちゃんは、もう身内以上だ。年金もわりともらっているので、生活保護はたったの480円だった。しかし、医療などは全額免除となる。そのため、私は生活保護を提案して、甥御さんにも了承され、保護を開始したのだ。

 

 昨夜のYさんとSちゃんの、年金の金額はわずか2万円の差である。

 Yさんは癌となり、慶応病院の費用も払えないまま退院したので、主治医や先端技術の情報を持たない町医者にかかった。
Yさんは、有名大学を出ている。卒業後の進路で弁護士になる人が一番多い大学、それも法学部。
東京大空襲の中、戦火を逃れた。結婚はしたが、うまくいかなかった。立派な子供がいるが、死ぬまでは会いたくないと言われたそうだ。
親は石油会社を経営していたとか、音楽が好きで、ほぼウイーンに住んでいたとか、明日はオペラ座、来週はスカラ座と生きた人生だった。

 一方、Sちゃんは、私と住んでおり、私が引き取る形をとったため、ここ中央区では生活保護は受けていない。しかし、主治医も変わらず、当社でパーキンソン病の看護と介護を行い、また、駒込病院に通院して、さらに訪問医にも見てもらっている。
Sちゃんは戦争で家を焼かれ、しかも本人は知的障害があったので、生きるのは大変だったと思う。
Sちゃんの贅沢といったら、将棋くらいなもんだ。好きな音楽は美空ひばり。

 Yさんが、もし、年金がもう2万円少なく、生活保護を受けることができ、さらにばっちりMRIを受けていたら、Sちゃんのように、たまに病院に行き、好きなオペラを楽しむことができたのだろうか?
明日は、Sちゃんを駒込病院に迎えにいく。きっと入院費は1万円でおつりだ。
日本は重大な病になっても、本当に医療は手厚い。私は福祉においては、良い方だと感じている。

 ケアマネージャは大した資格ではなく、試験も簡単だ。しかし、その人の生活全般を見る責務がある。
それを忘れたら、1万5千円の公金横領となる。
公金横領は詐欺より罪は重いし、詐欺師は命は取らないが、この公金横領犯は命を頂戴する結末となるのだ。

ICチップ

 「認知症の方は、これさえあれば、さぁ安心。」と、中央区の係長と保健師が、番号と記号が書かれた5cm四辺程度のキーホルダーのようなものをくださった。
認知症の母は、徘徊する時、自分の杖を必ず持っていくので、これを杖に付けることにした。
父が死んでから母は落ち着きが無くなっていたが、案の定、ひょいと目を離した瞬間に逃走した。
介護職員から、これから探す旨のメールが来たので、「大海原の底から針を探すのは、無理。中央区から頂いたICチップを付けてあるから、大丈夫だ。」と、介護職員をなだめた。
外は、木枯らしだ。

 その後、1時間もしないうちに、月島警察から連絡があり、母は御用となったのだ。
日曜日の深夜12時のことだった。
中央区が開発したICチップが作動した、万歳!と思っていた。
「ありがとうございます。中央区から母の住所がわかったのですね。」とお巡りさんに聞くと、
「あんなもん、使えんよ。近隣に住んでいる人が、たまたま『宮本さんのお母さんじゃないの?』と、言われたから駆けつけて来たんだ。」

 今回は、私の名刺も無いし、ハンドバックも持って行っていないので、良くわかったな…と、不思議に思っていた。
私は食い下がり、「杖に付いている、ICチップはどうしました?」と、お巡りさんに尋ねたが、
「そんなの、パソコンで調べてみたけど、メンテナンスって書いてあった。それに、発見した奥さんがICチップの動作状況を調べてくれたが、使えないと言っていた。そもそも、私たち警察は、中央区のICチップなんて知らないし。」と、びっくりする発言だった。

 “ICチップの見守り制度”は、政府の人は知らないが、同年代の親を持つ近隣の方(お名前は教えて頂けなかったが)は、その制度を知っていた。しかし、機能はしていない。近隣の方は、たまたま、母と私を知っていたので、もしかしたらと、警察に連絡してくださったのだ。

 

 翌日、役所に行って、「どうなってまんねん!?」と聞くと、「いや、メンテナンスだし。」との返事だ。銀行の取引というわけでもなく、しかも、日曜の夜にメンテナンス時間を入れるセンスが、アンビリーバブル。どんな奴が企画したんだ。
「警察には、『そんなもん知らんし、第一、使えん。』と言われた。」と伝えると、
「予算使ってないからね。」と、嘯く。
警察とは、会議などの連携は一切無いと言うんだから、もう役人びっくり仰天だ。

 こんな絵に描いた餅を作っても、腹は満たない。
「少なくとも、地域の警察とは連携せんか!」と言ってきたのだが、きっと今も、縦割り政策で何もしていないだろう。
この日記を書いた今日は、日曜だ。
今も、この一番危険な時間にメンテナンスをしていることだろう。いや、もともと、24時間毎日メンテナンスかもしれない。

サザエさん、学校に行く

「サザエさんは、なんの学校に行くか。」
朝、夫が突然私に質問してきた。
「24歳だし、英会話教室、違うな、なに、なに?」って聞くと、
「トヨタを抜いた、世界企業が今度のスポンサーだよ。」
「あ、そうか、教習所だね。」
今度、サザエさんのスポンサーは東芝に代わり日産だ。でも、日産は自動運転の技術を持っているから、
「漫画でも自動運転するシーンが登場するかも。」
と大笑い、我が家の朝は、夫のジョークの情本源で始まる。

 原発が騒がれる中、ウェスティングハウス社を元傘下に置いていた東芝は、ゼネラルモーターズと比較される。電気屋さんと思っている人も多いが、ここは、実はラジオの黎明期に最も活躍した会社でもある。
エネルギー部門は、送電線を手広くやっていたが、通信機器の発明もかなりごっついと。
昔、NHKの“フランケンシュタインの誘惑”で、知った。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き」が、ここでもささやかれている。
当社のような小さな会社にまで、「東芝にいたので」という方の応募が多数来た時期があった。

 ラジオやテレビが本業なら、「サザエさん、アナウンサー学院に行く」といった、キャッチコピーがマスコミに囁かれていたが、やはり、電気自動車という救世主を持った、日産には勝てないという訳だ。
余談だが、私は日産のリーフを所有していた。乗り心地は、ベンツ並みだった。
しかし、5年のローンを待たずに大破していまい、今では、その大破の保険金の恩恵にあずかっている。

今日のつぶやき

 慶応病院でYさんは、余命1か月と宣告された。
食事が取れなくなった、来てほしいと、ケアマネ依頼があったのは、平成30年1月30日のこと。
トイレにも、一人で行っていたが、とてもだるそうだ。
日々のバイタル記録を見ると、1月に入ってから、12月末まで、60だったのが、一気に100だ。
これは異常があるな。

 彼は独居だ。同居人はいたが、彼の介護には関与していない女性それも82歳、こちらも介護って感じ。
彼は86歳、大腸がんで4年前に手術をしている。3年前にこの家に来たが、その前はサービス付き高齢者向け住宅にいた。
そこでも、一切、MRIは取っていない。

 通院している、町医者に連絡すると、休診日だった。
もっと大きな病院、石川島記念病院に行った。
ヘモグロビンHBが昨年の13と比較して、3ポイント下がっていた。
あきらかに、癌の再来を意味した。

 もともと、執刀したのは、慶応病院だった。
慶応病院には、4年行っていないので、紹介状がいると受付で強く言われた。

 早々、石川島でのデータをもって、3年通院した町医者に行き、紹介状をもらい、金曜日の2月2日に総合診療科に受診。
11時に到着したが、診察は4時に結論をもらった。
癌の転移で、肺がんの末期、右葉に転移、心臓まで浸潤している。ステージ4でこれ以上はないと言われた。
医師から、「どうして、こんなになるまで放っておいたの」と、かなり叱咤された。
1月30日以来、慶応の紹介状が肝心でしたので、3日も遅れたことを詫びたら、医師は、「よく連れてきてくれました」と、泣いてお礼を言ってくださった。

 私は社会福祉士でもあるが、ケアマネージャという仕事もしている。
患者とは言わず、利用者をクライアントと呼ぶ。

 この人は事実上、同居人はいるが、一切関与されていないので、独居でもあるし、認知もある。
妻が自殺していることもあり、子供たちの対応は冷たい。
4年前の慶応の医療費も未払いとなっていた。

 ケアマネが3年も見ていて、癌である既往も知りながら、一切のアクションを起こさない。
MRIが費用的にきびしければ、行政に相談する必要がある。
毎月、ケアマネはクライアントの自宅を訪問して、月額1万5千円のお手当を国からもらっている。

 今日、再び、医師に呼び出されたので、私は前のケアマネに聞いてみた。
私がくる、2週間前から、容体が悪化していたが、きちんとデイサービスに通わせていた。
胸水には、満々の水が溜まっている。さぞ、デイサービスは苦しかったと推察される。
毎日、バイタルを取って、記録していても、なんの変化にも気が付かない。
デイサービスでもバイタルの変化について、ケアマネには連携もない。
失礼ながら、詐欺師は命はとらないが、毎月ここまでの悪化を見逃すのは、ケアマネの責務が大きい。
独居で相談する人もなく、お金もない。少ない年金のため、生活保護も受けられない。
そういう時、ケアマネが動き、彼の人生のパートナーになってくれていたら。
私たちは医者ではない。しかし、医者ができない家庭での、健康管理は私たちの十八番なのだ。
役所も、やれ、ハンコがない、やれ、期間が違うとか、そういうばかばかしいことばかり言わず、もっと、きちんとしたプランを作成するように指導するべきだ。
今回の場合なら、長期目標、癌の再発の防止、短期目標、MRIの受診必須と入れるのは、初歩の初歩である。

 団塊の世代が医療や介護を受ける時期がきた。これを先送りしていたら、恐怖政治のようなおぞましい社会となってしまう。
隣人が困っていたら、なんなりと相談してほしい。
1万5千円は、国家の税金と、私たちの懐から出ている、公費を頂戴することを疎かにしては財政も生活も破綻してしまいかねない。